平成20年度 日本陶芸倶楽部アマチュア作品展
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白瓷と私

前田昭博子供の頃からものを作ったりするのが好きで、将来は美術に関わる仕事につきたいと思い美術大学に入った。そこで(大阪芸大)、磁器はいわゆる瀬戸物として日常使いの絵が描いてあって 実用的ではあるが軽くて薄っぺらなものだと思っていたのが、作家が手で作る磁器の存在感を知り、その白さに生まれ育った山陰の冬の朝の雪景色を見た時の感動に似た何ともいえない不思議なやきものだと思った。粘土と違って扱いが難しい磁土、この土を制覇したいと夢中になった。卒業制作として数作った大きな壺を 禁を破って地元のギャラリーで発表したところ、皆から「次の作品を見たい」と背中を押されて、卒業後 鳥取に戻り、小さな工房を構え作陶生活に入った。
年1回の個展と公募展に出品することを自分に課し、作家として創作を続けた。産地で見て習うことをせず、ひとりで実際にやってみると、磁器の性質上 成形・釉薬・窯焚きなど、失敗が絶えず無駄なこと苦しいことがたくさんあった。作家にとっては創作をすることが一番大切。その創作は失敗の中で見つけ 自分の中で考えるもの と思うと、無駄や苦しいことが 直線的に作家としての自分のものを生み出してきたことになる。大学を出て14年、日本陶芸展 伝統部門で優秀作品賞を受賞し、これを機に一生陶芸をしていきたいと思うようになった。

山陰の雪、因州和紙、木版画の白い空間… 白いものに惹かれて、白磁への憧れを持って仕事を続けていた中で、富本憲吉の白磁に出合った。重くても結果としての造形が大切、「文様から文様を作らず」たくさんの写生からオリジナリティーのある文様を作る。クリエイティブな仕事が作家にとって最も大切だということ、形・艶消しの釉薬・絵付、全てに強い個性が出ている作品は、誰が見ても富本憲吉のものだとわかる。中国・韓国・日本の古いものをしっかりと勉強した上で、自分なりに昇華し、独自性を出すことが技術以上に大切。作家としての意識をしっかり持つことの大切さを教わった。

唐宋の白磁・李朝白磁 いずれも、儒教思想や社会的背景があって生まれた。告白とか白状という日本語もあるように白は心の内を表現するにふさわしい色だと感じる。
白瓷は形を主にして他をぐっと抑えることで、より形の良さが表れてくる。控えめに表現し、見る人のイマジネーションをかきたてることも白瓷ならではの魅力でないかと思っている。
私の面取壺はロクロで丸く作り、翌日に親指でちょっと押さえ、また形が変形する頃に押さえ…と何百回と指で押さえ、ロクロで作った形ならではの内から外への膨らみを活かせる形を見つける。扱いにくい磁土ゆえに 工程の中で土と対話しながらやってきて出来た曲面。この曲面は、障子越しの光 時間の移り変わりにそって陰影が変化し、無限な表情を見せてくれる。その陰影を一段と効果的に出すよう形を作り、釉と焼成で光沢をおさえた白に仕上げている。
作る側が「創造」したものを 見る側にも感じていただく(「想像」する)余地を残して−。

壺や鉢、皿という器は古臭いように思われるが、ロクロでの左右対称形は形としては抽象的とも言える。そういう点で「器」の中で現代を反映したやきものを作れると思う。
作品を作る上で一番大切なのは、「こういうものを作りたい」という想いを持つこと。作りたいものを作る時に手助けするのが技術で、技術から作品が生まれるわけではない。技術が少し拙くても「想い」があればそれが色濃く出て作品として魅力的になる。 それと今できること、いま(現代)でないと作れないものを作ること。今ある材料や窯だからこその作品を作ることが、創作であり自分なりの表現になる。
ものを作るというのは なかなか今話したようにいかないし、前に進んでいるのか後ずさりしているのか分からない時もあるが、自分はこういう方向で作るという姿勢だけははっきりさせて創作を続けていきたいと思っている。

前田昭博

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