日本陶芸倶楽部で作陶を楽しむアマチュア陶芸家の作品展。
本年度は310名、349点の多彩な作品を展示。
三浦小平二・島岡達三・12代 三輪休雪・和太守卑良 各先生による作品審査や、
来場者による人気投票が行われた。
作陶会・お茶会を同時開催。
三輪休雪先生による「土と炎のロマン」と題した講演会。
審査員に加え、吉川水城・朝岡弘美・島田文雄・中村卓夫の諸先生と、
多彩な陶芸家ゲストと共に授賞作品発表懇親会を行った。






作陶会会場


茶会会場


審査風景
本年度審査員
三浦小平二
島岡達三
12代 三輪休雪
和太守卑良
栗原直子  
(順不同・敬称略)



 
講師:12代三輪休雪先生 
演題:「土と炎のロマン」 
私は思いがけず今年の4月に12代 休雪を襲名させられた。私は長男で、子供の頃は跡を継ぐように育てられた。学生の頃に 東京に出てきて、やきものよりもっとおもしろいいろいろなことに出くわした。また、それまでの日本のやきものは、何となく桃山か中国の名品名作に近づけるという感がつよく、やきものなんてもうやめたと思っていた。ところが東京オリンピックの年に 日本初の国際陶芸展があり、初めて外国の自由な作品を観て、自分に正直にその気持ちを表現すればいいんだということを知り、またやってみようと思い、今日までずっとやきものをやるハメになった。でも皆さんご承知のように私はオブジェをやっていて、しかも特にエロティシズムのような今までの日本のやきものの美意識の世界にはなじまなかったものを長くやってきたので、自分の心の中でも家を継ぐということは全くなかった。ところが私の93才の父のたっての願いで、私も自分の意思を曲げ 急遽2003年4月7日、鉄腕アトムの誕生日に休雪として改めて生まれた。
(中略)
今日皆さんの作品を拝見して大変驚いた。日本中のやきものの全てがあそこ(日本陶芸倶楽部)に結集している。また、この夏に萩陶芸家協会が主催して「陶芸大リーグ」という 経験の有無に関係なく10日間萩の各作家の窯元で一緒に制作をする いわばミニ弟子入りを行ったが、全国から大勢の応募があり大変好評だった。こうしてみても、現在世界で日本人ほどやきものの好きな民族はいないんじゃないかと思う。それだけに作品も日本が一番バラエティーに富んでいる。今日の作品展でも非常にそういうことを感じた。
ここは日本陶芸倶楽部ですね。陶芸という言葉を考えると、まず陶器というのは、何千年にわたって生活の中の器というものの大半を肩代わりしてきた。だからやきものの器、陶器という言葉がずっと定着してきた。ところが戦後、いろいろな新しい技術が開発され、工場での大量生産によって、それまで陶工が作ってきた器より、はるかに安くたくさん作れるようになった。また、やきもの以上に衛生的で耐久性のある機能的なプラスティック等の新しい素材がどんどん開発され、やきものの社会の中での器としての使命は必ずしもなくなった。それで、陶工といわれていた人達が、自分の気持ちを自由に土でもって表現するようになった。これは簡単に言えば、芸術をやるということ。つまり陶芸、そしてそれをやる人を陶芸家というわけです。こういうふうに何千年というやきものの長い歴史の中からみればほんの最近、陶磁器から陶芸という言葉にかわった。いち早くそういうものを感じとってやられたのが、この日本陶芸倶楽部だと思う。
私がやりたいのは陶芸で陶磁器というのはどうしても器だから興味がない。だからといって器を否定しているのではない。素晴らしい器というのは器という次元を超えている。展覧会で素晴らしい名品を見るときに、皆さん決して機能で受け取りはしない。やきものはよく用と美の問題があり、用と美の調和などといわれるが、用と美という2つを一緒にすることは問題ではないと思う。まず美しくなければ使おうと思わない。つまり結論から言えば、用と美は決して同等にあるものではない。やはり用は美に従属するものだと思う。大前提は美しくあるということで、その後に用途というものを考えるのではないか。器であっても器の様式を借りて自分を表現すればいいのであって、機能のためにやろうという気持ちはない。そういうことで、私は今までやってきた。
日本のやきものはほとんどの場合、わびとかさびとかいう言葉で料理されている。わびさびという美意識は大変素晴らしく、世界に類を見ない非常にユニークなもので、これを日本人が発見したということは感性の豊さ、見識が素晴らしいということになる。しかし感激するあまり、それが唯一最高なものだと思い始めたふしがある。私はもっとさまざまな美意識を取り入れてやきものがあってもいいのではないかと思う。そして私が一番端的にこれだけはやらなければならないと思ったのが、エロティシズムだった。彫刻や絵画や文学のように日本のエロスのやきものがあってもいいのではないか。私は是非やってみたいと思った。そして萩に県立美術館ができた時に、「三輪龍作の茶室の美学」というエロスの茶室をやった。なぜかというと、わびさびにエロスというものを持ってくることにより、新しい美意識が生まれ空間が生きるのではないかと考えたからである。西洋でキリスト教美術にイスラムの美術が入って新しい美が生まれたように、また桃山時代に南蛮文化が入ったことで今までにない新しい文化がうまれたように…。古き良きを否定しているのではなく、新しい観点から見ると新しい発見がある、それをやりたい。
(中略)
海外で日本の素晴らしい伝統文化として、よく能とお茶をあげる。あの能は世阿観の才能によりはじめてできた。伝統というのはやはり作るものだと思う。なぜならば最初からあった伝統なんて世界中どこにもないからだ。陶芸においてそういう作ることをより積極的にやりだしたこの時代に生まれて、私は非常に嬉しく思う。私は1年間に1つでいいから何か私の想いを実現したい。絵画・文学・音楽…そういう芸術という大きい海にやきものも入って、互いに肩を組み合わせなければ本当の陶芸とはいえないし、陶芸のせっかくの醍醐味を発揮できない。伝統は素晴らしいと思うが、しかし素晴らしいほど次につなげる現代の陶芸をこしらえておかなければ後で我々の責任問題になる。
最後になるが、私は死という問題もやった。死があるからエロスが際立つ。死とエロスは切り離せない。休雪になったらそんなことはもうしないだろうという人があるがそんなことはない。私は今まで通り仕事をしていく。


Q. 今までで一番好きな作品(会心作)は?
A. 作品は自分の子供。子供にエコひいきはしない。皆、私のやりたいことが違うんだから、どの作品がどうこうはない。

Q. 失敗したなと落ち込むことは?作品を壊したりすることは?
A. 反省の日々。やきものは焼いてしまうと後に引き返せない。ゼロから作り直すと別のものになってしまう。壊すことは誰でもできる。作ることは私にしかできない。同じ時間があったら私は作る方にまわる。オブジェのような何メートルもの大作は失敗が許されないので、最初から計算して…。失敗しても命乞いをして何とか生かす、これが身につけた私の生き方。

Q. 先生が感じられる西洋彫像のエロスは、私にはむしろ鍛えられた肉体美で健康的に感じるが?
A. ギリシャの彫刻の肉体をみて、わびもさびも感じないでしょ。生命の輝きがエロスなんです。そういう観点でエロスというものをみていただきたい。

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